世界最大の暗号資産取引所Binanceで、63億ドル(約9450億円)規模の流出被害が発生した。暗号資産を巡る流出事件としては過去最大とされ、同社は入出金を停止したうえで全額補償の方針を示した。もっとも、実際に損失を吸収できるかを不安視する見方も出ている。
被害規模は、2025年2月にBybitで起きた15億ドル(約2250億円)の流出事件を大きく上回る。市場への波紋も広がっている。
ニューヨーク・タイムズとウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)によると、異常な取引が確認されたのは29日午後4時20分ごろ(現地時間)。顧客資産を集約管理する大型のホットウォレットから、数十億ドル規模のコインが流出したという。
攻撃者は正規の署名承認を悪用し、Binanceのホットウォレット側で配布したコードを実行させたとみられる。その後、複数のブロックチェーン上で正規の署名取引を装いながら資金を移転したとされる。
ニューヨーク・タイムズは今回の事件を、瞬時に実行された「オンラインの銀行強盗」になぞらえた。
ブロックチェーン分析会社のChainalysisとTRM Labsは、北朝鮮のハッカー集団「TraderTraitor」が関与した可能性を指摘している。Binanceは攻撃者の特定には至っていないが、米連邦捜査局(FBI)やシークレットサービスなどと連携して対応しているという。
ハッキング発生後、Binance経営陣は社内メッセンジャーで緊急対策チームを立ち上げた。セキュリティ担当者や資金追跡の専門家ら100人超が参加したという。
共同CEOのホー・イー(He Yi)氏もアブダビで徹夜対応し、午前3時の通話に加わった。出金については、セキュリティ点検を経て2日以内の再開を見込むとしている。
Binanceは暗号資産関連企業と連携し、被害資金の一部凍結を進めている。発行体が直接管理する一部のコインは、ハッカーのウォレットに移った後でも発行体側で凍結できるため、資金洗浄による持ち出しを防げるとしている。
この結果、ステーブルコイン発行体のTetherやCircleなどが約30億ドル(約4500億円)を凍結した。ドナルド・トランプ米大統領一族に関連する暗号資産企業World Liberty Financialも、自社ステーブルコイン「USD1」の2700万ドル(約40億円)相当を凍結した。
ただ、攻撃者はなお33億ドル(約4950億円)相当の暗号資産を確保しているとされる。ハッカーが複数のウォレット間で資金を繰り返し移動させ、追跡をかく乱しているため、資金追跡は難航している。
焦点の一つは、Binanceがどこまで損失を吸収できるかだ。
同社は従来、緊急基金「SAFU」を運用してきたが、事故当日時点で基金内のビットコインは12億3000万ドル(約1845億円)規模にとどまっていた。WSJによると、ハッキングの影響でビットコイン価格が下落し、これにより基金規模はさらに1億ドル(約150億円)目減りしたという。
Binanceは不足分を自己資金で補填する方針だ。WSJによると、同社はSAFUとは別に63億ドル超の資金を確保しており、このうち50億ドル(約7500億円)は今回盗まれたものと同種のコインとして保有しているという。
残る13億ドル(約1950億円)相当は市場で買い集めている最中で、調達には時間がかかる可能性がある。Binanceは当面、社内資金で損失を埋め、凍結済みの30億ドルが解除され次第、その資金で内部資金を補充する計画だとWSJは報じた。
試算上は、今回の被害が直ちにBinanceの対応能力を超える規模とは言い切れない。Nansenによると、Binanceのウォレットにある暗号資産残高は1670億ドル(約25兆円)に達する。
もっとも、その中には顧客資産も含まれており、実際の準備金規模はこれまで公表されていないとニューヨーク・タイムズは伝えた。Binanceの主な収益源は取引手数料で、同社は昨年、34兆ドル規模の取引を処理したという。
ホー・イー氏は「今年の売上だけで損失を補える」と述べた。
今回の事件は、AIを悪用したサイバー攻撃が相次ぐ中で起きたこともあり、市場への心理的な影響を一段と強めている。
ハッカーがどのように防御網を突破したのか、全容はなお明らかになっていない。Binanceは初期調査で、エンジニアのノートPC1台が侵害された可能性を把握し、その後さらに別の侵入経路も見つかったと発表した。
ニューヨーク・タイムズによると、2025年2月に競合のBybitで15億ドル相当が流出した事件では、北朝鮮が背後にいるとみられる攻撃者が、一見すると通常の取引に見える処理を承認させ、内部システムへのアクセス権限を得たことが発端だったという。
Chainalysisは、今回の攻撃で未知の資金洗浄パターンが使われたことに加え、短時間に数千件の取引が発生した点から、自動化ツールが使われた可能性が高いとみている。
ホー・イー氏もX(旧Twitter)に投稿した動画で、AIの普及によりハッキングが業界全体の脅威になったと指摘し、「セキュリティにもっと早く、もっと多く投資すべきだった」と語った。
Moody'sの副社長クリスティアノ・ベントリチェリ氏は、「今回の事故は、大型の中央集権型仲介機関にリスクが集中する構造を示した」と指摘。そのうえで、「保管資産が大きいほど、1度のハッキングがもたらす衝撃も大きくなり得る」と述べた。