量子コンピュータを巡る論点は、その可能性よりも現行技術が実用的な問題を解ける段階にあるかどうかにある。写真=Shutterstock

量子コンピュータを巡る投資競争が一段と熱を帯びている。米政府と主要テック企業は2028〜2030年を実用化の節目と位置付け、開発を急ぐ。一方、研究者の間では、現時点で産業上意味のある問題を解けた例は確認されておらず、商用化にはなお距離があるとの見方が根強い。

米ITメディアThe Vergeは6月30日(現地時間)、現在の量子コンピュータは規模が小さく誤り率も高いため、実産業で使えるレベルの問題を解いた事例は確認されていないと報じた。量子コンピュータは従来型コンピュータでは難しい複雑な計算をこなす可能性を持つが、研究者の共通認識としては、なお実験段階にとどまっているという。

それでも米国は量子産業の育成を急いでいる。ドナルド・トランプ大統領の科学顧問は、科学研究に活用できる水準の量子コンピュータを2028年までに開発する目標を示した。

トランプ大統領は中国との技術競争も念頭に、米国の量子コンピューティング産業を支援する大統領令に署名した。あわせて、政府システムを2030〜2031年までに耐量子暗号(Post-Quantum Cryptography)へ移行する計画も打ち出した。

民間でも同様の動きが広がる。Microsoftは6月、新型量子チップ「Majorana 2」を公開し、2029年までに拡張可能な実用的量子コンピュータの実現に近づいたとアピールした。

IBMは今後5年間で100億ドル超(約1兆5000億円)を投じ、2029年までに200個の論理キュービットを備えたデータセンター級の量子コンピュータを構築する計画を示した。Quantinuumも2030年までに数百個の論理キュービットを実現する目標を掲げている。

ただ、研究コミュニティは企業のロードマップと実際の技術水準との間に、なお大きな隔たりがあるとみている。英セントアンドリュース大学の物理学者、ヘンリー・レグ氏はMicrosoftの発表について、「まったくのでたらめだ」と厳しく批判した。

レグ氏は国際学術誌Natureに掲載した論文で、Microsoftが昨年公表した研究内容と論文、プレスリリースの間には大きな開きがあると主張した。中核技術とされるマヨラナ粒子についても存在が十分に検証されておらず、公表データだけでは同社の主張を裏付けるのは難しいと評価した。

これに対しMicrosoftは即座に反論した。量子コンピューティング部門責任者のチェタン・ナヤク氏は、自社の研究成果とロードマップを「100%信頼している」としたうえで、論文は実際にマヨラナ粒子を生成・制御したことを示していると主張した。

ただし、ウォータールー大学のラジブール・イスラム教授は「現段階でこれを技術と呼ぶのは難しい」との見方を示した。

量子コンピュータが直面する最大の壁は誤りだ。基本単位であるキュービットは外部環境の影響を受けやすく、情報を長時間保持しにくい。このため計算時間が長くなるほど誤りが急速に蓄積する。

この課題に対し、業界では1つの情報を複数の物理キュービットに分散して保存する誤り訂正技術の開発が進められている。

足元では、この分野での進展も報告されている。Googleは2024年、105個の物理キュービットを使って1個の論理キュービットを実現したと発表した。

2025年にはIBMとAmazonが、それぞれ1個の論理キュービットの実現に必要な物理キュービット数を12個、9個程度まで減らしたと公表した。Quantinuumはこれを2個まで引き下げたと主張している。プリンストン大学の研究チームも昨年11月、従来より情報保持時間が3倍以上長い超伝導キュービットを開発したと発表した。

もっとも、誤り訂正が進展しても、それだけで直ちに実用化につながるわけではないとの指摘は多い。Googleは2019年に「量子超越(Quantum Supremacy)」を達成したと発表したが、当時実行した計算は産業利用には程遠い乱数生成だった。

昨年公表した分子シミュレーションについても、研究用に設計された課題にとどまり、実際の産業課題の解決とは別だと評価された。

ボストン大学のドリス・セルス教授は「仮に今すぐ誤り訂正が可能な数百キュービット規模の装置を手にしても、何に使えるのかは明確ではない」と述べた。

一方で、量子コンピュータの潜在力そのものを疑問視する声は少ない。研究者らは、分子シミュレーションの能力が十分に高まれば、新薬開発や次世代バッテリー、太陽電池の設計などで既存のスーパーコンピュータを上回る成果につながる可能性があるとみている。

キングス・カレッジ・ロンドンのエリナー・クレイン教授は、光合成や太陽電池で起きる量子現象を精密に再現できれば、自然現象の理解と次世代太陽電池の開発の双方に役立つと指摘した。そのうえで、2028年前後には一部の科学研究で実質的な活用が可能になるとの見通しを示した。

その一方で、より慎重な見方もある。プリンストン大学のアンドリュー・ハウク教授は、実用的な量子コンピュータの登場には少なくとも2035年まで待つ必要があるとの見方を示した。イスラム教授も、暗号解読レベルの大規模な応用には少なくとも今後10年以上かかると予測している。

レグ氏は「今後10年、あるいは数十年の間に有用な量子コンピュータが実現するという確かな証拠は、まだ存在しない」と述べた。

量子産業では、技術検証に先行するかたちで投資とロードマップ競争が過熱している。米政府と企業は2028〜2030年ごろを実用化の節目とみるが、当面の焦点は、誤りを抑えながら大規模化できるか、そしてその先に実際にどの問題を解けるのかにある。

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