1985年にAppleを去ったSteve Jobsが創業したNeXTは、かつてIBMとの大型提携を目前まで進めながら、最終局面で交渉を打ち切った。対象はNeXTのOS「NeXTSTEP」のライセンス供与で、実現していればパーソナルコンピューティングの勢力図を左右しかねない案件だった。
構想の柱は、IBMがNeXTSTEPのライセンスを取得し、自社のPCやエンジニアリング向けワークステーション製品群に搭載するというものだ。
資金繰りに苦しんでいたNeXTにとって、企業市場で強い販売網を持つIBMとの提携は、経営の立て直しとMicrosoft対抗の足場を築く好機だった。しかし、この大型案件は直前で崩れた。背景には、Jobs自身の判断があったとされる。
The Wall Street JournalやFortuneの記者を経て、Jobsを描いた『Becoming Steve Jobs』を執筆したブレント・シュレンダーは、当時のJobsについて、頑固で交渉相手の立場に配慮するタイプではなかったと振り返っている。その結果、IBMとの提携話は最終的にご破算になったという。
JobsのNeXT創業後12年間をまとめた書籍『ネクスト・スティーブ・ジョブズ』には、この交渉を巡るより具体的な内幕が記されている。
それによると、当時のIBMはNeXTとの提携に極めて前向きだった。社内ではNeXTのソフトウェアをPS/2へ移植する作業が進み、ケンタッキー州の古い工場をNeXTSTEP対応の精密機器向け生産ラインに改装する構想まであったという。
契約には、より多くのソフトウェアリリースをカバーするため、提携期間を延長する内容も含まれていた。NeXTSTEPが市場で成功すれば、IBMにとっても有力な収益源になる見通しだった。ロス・ペローの資金、IBMのグローバル市場、Businesslandの小売網、そしてNeXTのソフトウェアが結び付けば、Bill Gates率いるMicrosoftの拡大を抑え込めるとの期待もあった。
IBMはNeXTSTEPを新型の高速コンピュータ「RS/6000」ワークステーションでも試験運用しており、顧客の反応も良好だったとされる。セル・ペトロリアムの担当者はデモを見て「狂ったように速い」と評価し、数千台規模の購入意向を示したという。
一方で、協議が進むにつれてJobsは強い違和感を抱くようになる。提携がNeXTの存続に大きく寄与することは認めつつも、条件面は自身の経営スタイルと相いれなかった。
書籍によれば、Jobsが特に懸念したのは、追加で3000万ドルを受け取る代わりに、NeXTSTEPの将来ロイヤルティを手放し、IBMに今後8年間、自社のビジネス向けコンピュータで同ソフトを動かす独占権を与える条項だった。さらにIBMには、NeXTSTEPの「ルック・アンド・フィール」を複製する権利まで認められる内容だったとされる。Jobsにとっては、自らが最も恐れていた主導権の喪失につながりかねない条件だった。
最終的に、Jobsは提携断念を決める。
書籍では、その象徴的な場面も紹介されている。IBMとの契約に向けたプレゼンテーションのためダラスへ向かう途中、NeXTの営業担当マーク・ヘイズは、サンフランシスコ国際空港の書店で、顔を本に埋めるJobsの姿を見つけた。Jobsはそのまま書店を出てエスカレーターへ向かい、ポルシェでオフィスへ戻ったという。
ダラス・フォートワース国際空港では、果物の盛り合わせやエビアンのミネラルウォーターを用意したリムジンが到着を待っていたが、Jobsは現れなかった。IBMはこの欠席を、両社関係に対する意思の欠如と受け止めた。交渉は事実上頓挫した。
書籍は、JobsがIBMとの関係で自らの交渉力を過大評価していたと指摘する。後年、JobsはPixar共同創業者のエド・キャットムルに対し、IBMとの契約失敗から「決して手札を切り過ぎるな」という教訓を得たと語ったという。
歴史に仮定はないが、この提携が成立していれば何が変わっていたのか。NeXTの経営陣は当時もその後も、IBMと手を組んでいれば、パーソナルコンピューティングの流れそのものを大きく変えられた可能性があるとみていた。
書籍によると、NeXT側は、提携が実現していればその後10年続いたMicrosoft Windowsの独走を食い止められた可能性があると今なお考えている。IBMは総額約1億ドル(約150億円)の資金投入を約束しており、Windowsが市場で足場固めに苦戦していた時期に、NeXT技術を搭載したコンピュータを数千社の企業顧客へ出荷できた可能性があったという。
NeXTSTEPが業界標準となる現実的な機会は確かに存在した。だが、その好機は最終的にJobs自身の判断によって失われた。